『センスを磨け!』

『センスを磨け!』と言われても、具体的に「何をどうやればいいか?」よくわからないだろう。『センス』を辞書で引くと「物事の微妙な感じを解する心のはたらき。微妙な感知能力」とある。
最もセンスが要求されるものの一つに「生け花」がある。
花を一輪生けるにしても花瓶の選定から始まり花の長けや傾き加減まで、花は生ける者のセンスによって演出される。
その「美」はギリギリのバランスの上に成立する。
ほんの1ミリ違ったら「醜」(みにくい)に転落してしまうような、言ってみれば「針先の一点にしかない『必然の美』」。
「センスからなる美」はそれを見せる側も受け取る側も、感性を研ぎ澄まさなければ成立しないもの。芸能に身を置く人の中で一流と呼ばれる人は、その人なりの「生け花」をやって常に『センスを磨いて』いる。
楽家や俳優さんの中には趣味で絵を描く人が多いと聞く。
絵を描くことがその人にとっての「生け花」であり『センスを磨く』ことであるからだろう。
それは人によっては詩を紡ぐことだったり写真を撮ることであったり、焼き物を焼く人もいれば囲碁や将棋から学ぶ人もいる。
美術館に行って画家や彫刻家が「美を追求したなれの果て」を見たり触れてたりしてセンスを磨く人もいる。
君は何をやってセンスを磨く?
磨きに磨いて超然と光り輝きだしたセンスは、あなたの本業をより美しいものにするだけでなく、あなたの生き方やあなた自身を美しくする。

さて生け花に似ているフラワーアレンジメント。
あれは派手で、作りが大げさで「良い悪い」が実に分かりやすい。
故にとっつきやすい。
が、それをいくらやっても『センス』は身につきません。
あんなフラワーアレンジメントなるものよりも
ゴジラが街路樹を引っこ抜いてプールにボンボン投げ込んだほうが遥かに美しい。
これを読んで頭にきたフラワーアレンジメンティストは、今すぐゴジラに果たし状を叩きつけなさい。どーぞ、俺に遠慮なく。