トイレに流れた宇宙物理学

俺の音楽は、一番でかいところから始めることにした。
俺たちにとっての最大なる存在から始める。
それは宇宙だ。
宇宙は巨大だ。
果てがないという。
果てがないのに膨張しているという、なんだか訳のわからない存在。
「宇宙は自分の姿を見るために、生命を産み、育てた」というファンタジーがある。
人類が科学の目で宇宙を記述することによって、初めて宇宙は己の姿を見ることができるというのだ。
宇宙は、自分が何者でありどんな姿をしているのか解らない、
宇宙は自分を知るために生命というものを産み、
それは長い年月(宇宙にとっては瞬く間)をかけて単純なものからより複雑なものへと進化し、
やがて進化の突端にいる人類は、宇宙に思いを馳せ、宇宙を観測し探索し、記述する。
そして宇宙は、人類の目を通して自分を初めて見る。
というファンタジー
実におもしろい妄想だ、楽しい、
楽しいからそれにのってみることにした。
さあさあ、宇宙を語りやれ。
しかし、俺の宇宙に対する思いは貧困極まりない。
中学生の頃、兄の天体望遠鏡土星の輪や月のクレーターを見て、
「マンガみたいだ」とつぶやいたのを頂点とする。
ずいぶん低い山だ。
これでは宇宙さんも納得しないだろう。
だが、宇宙物理学の世界ならば、高い山を登ってきたと自負する。
以前俺は、膨張宇宙の根拠の一つとされている赤方偏移について疑問を持ち、
「光は進む距離によりエネルギーを失い間伸びする性質がある」という理論を展開した。
そして、膨張宇宙と膨張宇宙から導きだされたビッグバン理論は、一人の天才により破綻した。
と、なる予定だったのに。
便所でうんこを捻りながらの展開だったので、それはまさに水に流れてしまった。
宇宙物理学の歩みは今後百年は停滞することになるだろう、残念なことだ。