林檎がある

岸田劉生の「壷の上に林檎がある」を見て我想ふ。
「壷の上に林檎がある」ということは、いかなることなのか?
それは壷の上にその林檎以外のあらゆる物が「ない」のである。
そこには、蜜柑も西瓜もなければ、プリンもケーキもなく、アメリカザリガニもいなければドラえもんもいない。
ましてや一心不乱に宿題をしているカツオなんか、いるわけがない。
そこに林檎があるというだけで、それ以外の全ての物のその場における存在性を粉みじんに否定しているのだ。
林檎一つが他の全存在を駆逐してそこに「ある」。
林檎は正に宇宙の全存在に打ち勝った「実存」なのであるのである。