超えるもの超えぬものとて海の中

放課後、会社に残ってサックスのフリークトーン(いかれポンチな音)の研究をやった。
題して「オカマと火星人の口喧嘩」。
キィーだのピーだのボヘェボヘェだのと3時間ばかし吹いてみた。
いやいや、燃えた燃えた、アドレナリンがダラダラと出るわ出るわ。
で、悟ったのさ「おいらのサックスは音楽に届かないもの、言わばノイズ以上音楽未満でいいのだ」
「所詮音楽などという入れ物は俺が造ったわけでなし、そんなものに回収されてたまるもんか!」ってさ。
これぞまさしくジャイアントステップ
偉大なる開き直り。
ブギャブギャァギキィーと3時間、
よくまぁ、居残り仕事の同僚やご近所さま御依頼のヒットマンが飛んで来なかったものだ。
ものの3時間あまりで悟りを啓いた俺は気分良く家に帰り、DVD「ジョン・コルトレーンの世界」を再生する。
そん中でかみさんのアリス・コルトレーンが語っていた「彼の演奏に音楽の領域を超えたものを感じた」と。
もちろん「彼」とは音楽の領域に届かない「俺」のことではなく、ついに音楽を超えてしまったコルトレーンを指している。
つまり、俺と彼の間には音楽という巨大な海が広がっているのだ。
逆廻りで非音楽の方向から歩いたほうが近いんやろか?
などと思てたら1966年のジョン・コルトレーンクインテットのニュー・ポートジャズフェスティバルの映像が飛び込んできた。
凄まじいフリーソロ、まるでこの世の終わりとばかりに吹きまくるトレーン、鳥肌が立ってしまった。
ガラガラの客席わずかばかりの客が、猛獣でも見るかのように立ちほうけて見ているけど、そんなのまるで関係なし、狂いまくりのテナー。
俺はそこに、社会や世間などという瑣末な物事を必要としない究極のパンク魂を見た。
世界と真っ向勝負して一歩も引かないコルトレーン
その姿は決して神々しいものではなく、余りにも人間くさい独りの裸男の叫び
魂の叫び、しっかりと我が心に刻み込みました。
追記、フリーに突入したトレーンについていけなくなって去っていったエルビンやマッコイ
そんな中、最後まで一緒だったジミー・ギャリソン、
自分よりでかいウッドベースを傾げて弾く姿がとてもとても印象的でした。
あとやっぱドルフィーは最高や!
あのオデコにはきっと、全ての謎の答えが詰まっているんやな。
さーて明日から俺は俺のMy favorite thingsを吹きまくるでな。