歌と心と、ろくでなし

昨夜の太鼓の稽古にAちゃんが来た。
T市から遥々、電車とバスを乗り換え乗り継ぎ2時間近く掛けて。
師匠から八丈島の太鼓節を習っている。
「太鼓叩いて、人様寄せて、わしも会いたい人がある」
誰に会いたいのだろう。
いつか歌ってくれた自作の歌「おかあさん」は、
Aちゃんの心の叫びそのものだった。
いつも全身全霊で歌う。
車椅子の上で身体を折り曲げ、揺らし、あらん限りの力を振り絞るようにして歌う。
その歌には魂が篭り命が宿る。

地下の稽古場から地上という名の日常への階段は、いつも急傾斜である。
Aちゃんを抱えて階段をフラフラになりながらも懸命に一段一段昇る介護の女性。
身体が不自由な人に直接触れて介護する場合、
それが異性であってはならないという原則がある。
が、事故が起きてしまうよりも原則を越えてしまったほうが遥かにいいのに、と思うが、
中々言い出せずにただ見守るだけの俺。
無事に昇り終えた彼女に太鼓仲間のMさんが「腰を痛めないように」と声を掛けたら、
「まだ慣れていないんです。もっと上手くなりたいです。」と
屈託のない笑顔が返ってきた。
「Aちゃんを抱えること支えることを上手くなりたい」という彼女の笑顔見ていたら、
ただの自己満足のために「太鼓をサックスを上手くなりたい」という自分がとても恥ずかしくなった。
そういや世界的なジャズサックス奏者が
「上手く吹けるようになるにはどうしたらいいですか?」というファンからの質問に、
「より良い人間になることだ」と答えてた。

目を背ける、目をつぶる、放り投げる、逃げる、でしか生きていない俺には、
それが、1番、難しい、のだ。