一輪の車輪

22才の春、田舎から横浜に出てアパート借りてイベントショップでバイト
店の方針にムカつき三ヶ月で辞める。
毎日遊びほうけてたらいつのまにやら所持金数百円
帰りの電車賃もないまま東京に行き日払いのバイトで食い繋ぐ。
やがていちいち横浜まで帰るのが面倒になりアパートをそのままにしてバックレ。
大家さんとか家賃とか荷物とか親兄弟とか友達とか心配とか迷惑とか
そんなものは知ったこっちゃない、うざいから逃げちまえ。
サウナに寝泊まりしながらバイトとスロットと競馬と競艇で生きてた。
スロットでこつこつと60万貯めて競馬一日で30万負けたり、バカげてて楽しかった。
そんなボウフラのような生活の三年目の夏、休みなく二ヶ月間働いて上役に捨て台詞を吐き、自転車で東京脱出
俺は真面目に働くようには出来ていない。
北へ北へとひたすら自転車を漕ぐ
群馬から長野に入り冷たい雨の降る夜、志賀高原のスキー場で鍵の開いた雪上車を見つけ中で寝てたら、あんたが死んだ夢を見た。
「これが夢のお告げてやつか、いよいよ死んだんだな」と思い、記念に絵葉書き一枚を実家に送る。
長野から新潟に入り日本海沿いに北上、秋田、山形を回って南下、再び東京に帰ってきた。
ダメな奴がダメなまま生きていける東京は暖かい。
そして思い切って三年ぶりに実家に電話をかけたら、なんとあんたは元気に生きているという。
「夢のお告げなんて嘘っぱちじゃねーか!」と再び音信不通行方不明になる。
(横浜のアパートは兄が上京して後始末してくれてた)
またサウナ泊りをしながら、真面目にバイトして金を貯めアパートを借りることにした。
契約時に保証人をどうするかに困り果てて保証人欄と睨めっこしてたら不動産屋のおっちゃんが「保証人には連絡しませんから」と言ってくれたので、あんたの名前を書いといた。

アパートで何度も何度も眠れない夜を過ごした。
あんたを殺したくて殺したくて溢れ出る殺意で悶々として眠れないのだ
このままもう二度と会うこともないだろうに、殺したくて殺したくて
ノートにありったけの殺意を書きなぐって疲れ果てて眠る毎日
あんたを殺して自首して、子殺しよりも親殺しのほうが罪深いという一般論と闘ってやるだのと考えたり
不思議なことにどうやって殺そうかとか具体的なことはまったく考えなかった
そこには殺したいという爆発的な感情が一つあるだけで、動機すら何もなかった
自首をして本気で太陽が黄色かったからと言おうと思ってた。