@夏の終わりに昔話、五ページ目

翌朝ふつうに目覚めて、「昨夜のあれって夢だよなー、どうか夢であってください」と祈るようにして屋根の下の畑へ。
足跡くっきり、ぼく涙目。
母ちゃんに話した。
もちろん、異次元だのあんたらに殺される気がして逃げたなどとは言わずに「熱が出て家を飛び出して…」と。
そしたら母ちゃん、鞄工場のおやじさんと同じく「モウゾウになったんだな」と言うではないか。
「モウゾウ」=「妄想」
「モウゾウになった」=「妄想を見た」ということなのだろう。
すでに熱はすっかり下がってたのだが、馬鹿げた夢ではなくて現実だったことにショックを受けて学校を休んだ。
結局なんだかんだでダラダラと三日間学校を休んだ。

あれは妄想なんて生易しいものではなかった。
便所、階段、屋根、畑、道、鞄工場のおやじさんなどなど全てがいつもの世界。
おかしなところは一つもなく、はっきりくっきり。
唯一、部屋の中だけが異様な状態。
空間が鋭角三角形に切れて飛んでいき枕を貫いて消えていくなんて、普段イメージしようがないものを目の当たりしたのだから
それは壁の染みが人の形に見えてしまうという人の脳の特性から生まれたような出来事ではなくて、
実際に起きていたこと。
もし小便に起きてなかったらどうなっていたのだろう。
俺の顔を目掛けて飛んできたのだろうか?

しばらく前に、インフルエンザの薬のタミフルを飲んだ中学生がマンションのベランダから飛び降りたというニュースを何度か目にした。
インフルエンザ(風邪っぽい症状)、熱、中学生、を共通キーワードにして結びつけたら、彼らはおいらと同じものを見てしまったのかもしれない。
空間が鋭利な刃物となり飛んでいく現象を。
その場にいたら切り刻まれて殺されるとわかったら、誰しもが逃げるだろう。
それが玄関から逃げられないような状況であったなら、一か八かベランダから飛び降りるしかない。

あれから二度と同じような経験をしていない。
ぼくは心霊現象的な経験はこれといってしたことがない。
いわゆる電波系にもなっていないし、オカルトにのめり込むこともなく飄々と生きている。

ただし今、私が緻密で秩序だったものが苦手なのは、あの時飛んでいた鋭角三角形の容赦ない正確さを未だに怖れているから。

まだぼくが坊主頭だった中学三年生の秋の初め。
その時、目にした光景をぼくはうまく咀嚼できないままに今を生きている。