@八まごめに置き土産の第一打

数年前の話。
師匠が八丈太鼓まごめ会を立ち上げたばかりで、まだメンバーが誰もいなかった頃に、一人の女の子が目を輝かせながらやってきた。
太鼓の達人というゲームをやってたら本物の太鼓が叩きたくなって、区役所で近所の太鼓グループを調べてやってきました」
稽古日でない突然の訪問にも拘わらず師匠夫婦は彼女を歓迎してくれ、長い時間、太鼓を好きなように打たせてくれたそうだ。おにぎりまで出してくれて。
彼女は師匠夫婦の優しさと自由でなんでもありという八丈太鼓に魅せられてその場で会員になった。
女の子は次の週の火曜夜の定期練習に彼氏を連れてきた。
だが、彼は和太鼓にはまったく興味はなくどちらかと言うと「和太鼓=ダサい」と思っていたくらい。
彼が唯一救われたのが、八丈太鼓の「なんでもあり」という自由さ。
下打ちに合わせて好きなリズムを刻めるのはまあまあ面白い。
しかし、いくら皮を木の棒で叩いていても昂揚するようなグルーブは生まれようがなくて。
どうせ太鼓やるんだったらアフリカンパーカッションがいいなーと思うばかり。

翌週火曜夜の定期練習に
「彼女は就職相談に行ったので」と彼が一人でやってきた。
師匠がずっと下打ちをやってくれて彼がそれに合わせて太鼓を打ち込んでいくのだが、ノリが悪く、心が昂揚することもなければ楽しくもなんともない。
師匠夫婦がお手本を見せてくれるわけでもなかったので「これでいいのか悪いのか」さえ解らずに叩き続ける。
やはりちっとも面白くない。自由と個性は魅力あるけど和太鼓そのものが自分にはダメなのだなと帰り道に思う。

翌週火曜夜の定期練習、彼女と彼が来るのを待つ師匠夫婦のところに一本の電話。
「昨夜、彼女が自殺した。」彼から。
続く言葉がなかなか出てこない
やっとの思いで口を開いた「太鼓が好きだった彼女に聞かせたいので弔いの太鼓を打ってもらえませんか」と。
突然の哀しくて重たい申し出を師匠夫婦は心よく引き受けてくれて涙を流しながら太鼓を打ってくれた。
傍らに繋がっている受話器を置いたまま。
彼は彼女の耳に受話器を充ててその太鼓を聞かせた。
受話器越しに初めて聴く八丈太鼓、始まりはゆっくりしたリズムで一打一打が心の底にまで響くよう、だんだんスピードが上がりは最後はこの世のものとは思えないほどに激しい太鼓。
彼女が聴いた最初で最後の八丈太鼓、ぼくが初めて聴いた八丈太鼓は「これを聴いたら生き返らないほうがおかしい」と思えるほどに凄まじい太鼓だった。