@八まごめに置き土産の第二打

hがずっと頼りにしていた親友のrが、俺を毎日のように連れだしてくれた。
「呑みに行こう」
「食べに行こう」
「ライブで歌う歌の練習に付き合って」
親友が自殺したというショックに耐えながら、ひたすら俺のことを心配してくれるr。
俺が後を追うのじゃないかと心配してたようだが、当の本人はまだそこまで頭がいかず事態を飲み込めないまま生きていた。
「いつこの悪夢から覚める?」
「今日あたりあいつはひょっこりと帰ってくるのではないか」
昼はひたすら機械のように働き夜はrと呑んで食って話して。
それでも二月ほどリアルな日常をこなしているとさすがに「これは夢」と逃げていられなくなってくる。
もう二度と合うことができない事実。
笑顔が消えて魂が消えて命が消えて通夜や葬儀には大勢の友達が駆け付けてくれて、
みんなの前でrが泣き崩れ俺は数日間一睡もしていない狂ったテンションでhが自殺した経緯を必要以上に細かく説明して、
意味もなく豪華な火葬場で身体はくだらないほど高温の炎で長々と焼かれ、軽くてちっぽけな白い骨になり、わけわからないしきたりにのっとって箸で摘まれ小さな木箱に入れられてあげくの果てには真っ暗な墓の奥に一丁上がりとしまわれた現実。
電車の中で会社でと、時と場所お構いなしに突然襲ってくる悲しみに鳴咽が止まらなくなる。
(自分一人しかいない冷凍倉庫での仕事がどれほどありがたかったことか)
結果的に俺がhの命綱を離してしまったという拭いようのない事実に、
朝から晩まで途切れることなく続く底無しの罪悪感。
純粋な後追い自殺とは違うだろうが「この苦しみから早く楽になりたい」という気持ちと「俺なんか死ねばいいのに」という自分に対する憎悪と
「俺が死ねばあいつは生き返るのではないか」という妄想を繰り返す日々。
その頃、なぜだか無性にrのことがムカついたことがあった。
rはhを救えなかったことをとてつもなく苦しんでいる、hの死に対して微塵も責任がないのに。
「おまえ関係ねーじゃん」とさえ思った。
hにとって年下であるのに、ある時は姉のように慕いある時はお母さんのように頼りにしていたr、そのたびにrは全力で答えてくれていた。
hを俺に引き合わせてくれた時もhを助けたいという一心からだったではないか。
助けよう助けようと全力を尽くしてくれたrがなぜ責任を感じて苦しまなくてはならないのか?
その理不尽さに心底ムカついた。
そして俺が死ぬのはrと疎遠になってからでないとまずいなと思うようになっていった。