20日最勝寺で太鼓打ち

20日最勝寺で太鼓を叩いた。
東ティモールのミュージシャンEゴさんを囲む会。
70年代80年代にインドネシア東ティモールを侵略、そして虐殺。
20万人が殺された。
Eゴさんのお父さんお祖父さんも殺された。
この時、インドネシアに資金援助してた日本。
俺達があくせく働いて納めた税金はODAと称してスハルト政権に送られ、東ティモールの人達を殺す武器に化けていた。
いや、べつに化けてしまった訳でもなんでもない。
予め、そのように使ってくれと言って渡した金。
とてつもなく残酷非情な「そのように」。。
無知であることの罪を知った。あるいは黙認の罪、消極的賛成の罪。
間接的人殺しの罪。
「STOP ODA」に深く刻まれている意味が初めてわかった。

車座のみんなを見回すと高尾山縄文コーリングでお世話になったkズちゃんや、
四谷の自由と生存の家オープニングパーティーで出会ったhロちゃんやら「また会えたねー」と嬉しくなるような面々の姿。
おっぺのKンちゃんやmモちゃんやケグリのみんなはもうすっかりお馴染みで「やあやあどーもどーも」といつもの調子で温かい。
そんな中、一人の男に目が止まった。
Fジエさんによく似ている「世の中にはそっくりな人が三人いるというが、なるほどな」と見てたら、目が会った、挨拶された、たまげた、本人だった。
そばにいき「誰関係の繋がりで来たんです?」と尋ねたら、なんとこの落書き帳の告知で八丈太鼓を見に来てくださったと。
いやー嬉し恥ずかしぶったまげ(ノ゚O゚)ノ。
Fジエさんは、先月僕がダンサーとして参加させてもらった「自由と即興フェスタ」の主催者であり素晴らしいボイスパフォーマーであり、ダンス、ノイズ、音楽などボーダーレス縦横無尽八面六臂に活躍する人で仕掛け人で、
(Fジエさん見てますかぁー?)
黒縁メガネのイケメンである。。

本堂でみんなが代わる代わる叩いた廻し打ちは最高に盛り上がった。
みんなの熱い思いは太鼓の響きにのってぐんぐん広がってった。
それは、連休でまったりと過ごしていたご近所さんの耳に遠慮なく届いただろう。
住職がかなり気にしていたからよくわかる。
こうして積極的な平和運動は平和ボケしたお茶の間を侵略していくのだ。
神が降りてくるようなケグリの韓国音楽は俺達和太鼓の倍の音量。
住職はニコニコと笑っていたので、きっと悟ってしまったのだろう。
mモちゃんが広げた布にみんなで祝島に向けてメッセージを書いた。
上関原発反対運動は今日も続いている。