ある土曜日の登り坂

土曜日、仕事を終えて御徒町
mモちゃんへの差し入れに手作りあるいは手作り風クッキーでも買っていこうとアメ横をウロウロしてみたが、色の変わったマグロはあれど手作り風クッキーはなし。
ところで色の変わったマグロは薄く外を削って少し値段を下げて再び陳列されるのかね?
おいらは、冷凍倉庫の入出庫で箱入りのマグロを扱ってるだけなので、店で客に売る時のノウハウはまったく知らないから、単なる推測でしかないんだが。。
けど、そうだったとしてもそれはそれでいいんじゃね、例え時間経過によって傷んだ箇所を切り落として再び売ってたとしてもさ、それは「モッタイナイ精神」から言えばとても素晴らしいこと。
もし、そういう行為がお気に召さない人がいるのであればこう言っとこう「おまえさんはタイムマシーンでも作って、とっとと20年前に帰りやがれ!」とな。
時代は常にシフトしているのじゃよ。

二木の菓子に入ってみたがもちろんここに手作りあるいは手作り風クッキーがあるはずもなく、なのでなんとなくバッカスチョコとラミーチョコとプッカを買ってみた。
買い物も常にシフトしていくものなのだ。

秋葉原のgallery COEXISTに向かって歩いていて、ふと脇道を見た瞬間にぼくは心を奪われた。
少し先に登り坂があった。
なんの変哲もないありふれた登り坂。
急過ぎず緩やか過ぎず、坂道沿いに絵になる建物が建っているわけでなく、洒落た車が走っているわけでもなく。
坂の途中に宅配の車が止まっている、電線がちとうるさいくらいに縦横に走っていて、坂の手前の信号が赤になったり青になったり、特徴らしい特徴もない名もなきただの登り坂。
ぼくの心はダルマ落としのように一気にガコンッと落ちてしまった。
自分でもわけがわからないままに。
その風景のどこに惹かれたのか?なんていう質問は、さまざまな形を成す雲の形を問うているようなもので、まったく意味はない。
その坂そのものと、空と空気と時間と自分の感受性と、あらゆることを全部ひっくるめてガコンっと落ちた!

そういえば、あの子は(おそらく)同じような経験をした時のことを「心が満たされた瞬間」と表していた。
おいらの場合は「心奪われた瞬間、落ちた瞬間」。
心が満たされるのは幸せだろう、ならば心が奪われるのはどういうことだろう?
愛は幸せをもたらすもので、恋は落ちるもの。
「満たされる」と「奪われる」
愛と恋の相違に関係があるのだろうか
それが何であれぼくはその時、とてつもない幸せを感じたんだ。