@ダンスとはなにか?誰も答えられない 2ステップ目

ダンスといえば、ヒップホップダンスやアフリカンダンスだのと音楽に合わせて踊るものしか知らなかった。
「音楽のリズムやメロディーに合わせて体を躍動させる」=「ダンス」という認識でしかなかった、去年の夏までは。

去年8月、AIMAXさんの「JET即興リレー”5分でどうだ”」に参加させてもらった。
AIMAXさんのギターに我々が5分交代で代わる代わる闘いを挑んでいくエキサイティングなライブ。
一対一のガチンコ勝負で、AIMAXさんの速くて細かいギターの刻みの一音一音に正確に反応しているダンサーがいた。
ギターの弦の一本一本がダンサーの頭や手足に繋いであって、弦を弾く度に手足がビクついているような凄まじいシンクロ率。
しかもこの操り人形は仕組みが狂っていて、体のどこがどう動くのかまったく予測不能なのだ。
今の動きと次の動きに関連も整合性もなく、弦が弾かれる度にどこかが勝手にビクっ!
ダンサーの顔をいくら見ても「楽しい」も「嬉しい」もなく「真剣」も「不真剣」さえも見出だせずに、見る側の思惑が空回りするだけ。

弦の一音一音にシンクロしてうごめく狂った操り人形。
衝撃だった。
音楽に合わせて楽しく躍動するダンスしか知らなかった俺は、身体表現の凄まじさに圧倒された。
彼女に打ちのめされた。

9月に中野のSpecialColorsでのパフォーミングナイトに遊びに行った。
ドアを開けて入っていくと彼女が一人スポットライトに照らされて座っていた。
音が一切ない無音の世界で何もせずにただ壁際に座っていただけ。
それが、やはり普通ではない。何て言ったらいいんだろう、同じ時間を共有して生きている人ではない感じ。
映画の回想シーンに現れた昔の自分が間違って実体化してしまったような、物悲しさ。
物語りから生まれる哀しさではなくて、存在自体が持っている哀しさ。

別のシーンが始まり再び座っているだけの彼女。
無表情。
いや無表情どころではない、からっぽだ。
表情の元である心や気持ちが一切ない、からっぽ人間。
目は虚空さえ見ていなくて穴ぼこが二つ開いているだけ。

めったにあることではないが日常で、からっぽ人間に遭遇することはある、例えばそういう病に罹った人に会った時。
あるいは、肉親や恋人、親友などに死なれてしまった衝撃に反応できず、心ごとすっぽりと持っていかれた場合、からっぽ人間になる。

その目は虚空すら見ていなくて、ただ穴ぼこが二つ開いてるだけ。