何処にいっても「鬱」と道ずれ
又又行ってきました カラオケへ。
又又やってきました カラオケで。
鬱ってる時は「何処へいっても自分と道ずれ」ですね
映画「ガタカ」のように例え遺伝子操作で
「あゆ」や「モ-娘」の誰かと交換できたとしても
「わたし」の心のままでは、宝の持ち腐れになるだけでしょう
帰り道、雨が降ってきました
この雨も私の所為 桜が早々と散りゆくのも私の所為
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とは思ったりしないですけどこの鬱っぷりをなんとかして――。切実に
ところで薬大量に余ってます
「セニラン」1日4回
「デプロ」1日3回他様々処方されてるんで、
全部呑んでたら胃に穴があきそうです
とか言いつつ、今日も
デプロ
セニラン
マイスリ-
エチカ-ム
ロヒプトノ-ルだけだっけ? 呑んでますけどね マダ足りません
メモ帳開いていたら秋頃かいた遺書のような詞がでてきました
「これ以上 堕ちていく僕をみたくないんだ
もう充分だろう
沢山の夢をありがとう
どうか悲しまないで
無力だなんて責めないで
君がいたからもう一度笑えたんだから
本当に愛したよ
いつも鳴いてばかりだったけど
いつも責めてばかりだったけど」
私はこの頃から「逝く」ことを考え続け今もまだ生きている
この先も惰性で自虐的に生かされるのだろうか
終止符はいつうてるのだろう