怒れるジャズ講座

『ジャズってバナナとおんなじだ。皮をむいたバナナのように、そのときすぐに食べてしまわなければならない』
サルトルはさらに続ける。
「ジャズが演奏されている。みんなが熱中して聴いている。
その人たちは夢なんかみてはいないだろう。ショパンは夢を見さすかもしれないが、ジャズはちがうんだ。
ジャズはとりこにしてしまい、そのなかから離さない。ほかのことは考えさせないようにしてしまう。
ジャズはドライで狂暴で無慈悲なものだ。
それが黒人奴隷の百年前からの悲しい歌だと考えるのは間違っているし、機械にたたきのめされた白人たちにとっての悲しい夢だと考えるのも間違っている。
ごらん!トランペットを吹いている太った男が、からだを動かしながら、ありったけの息をしぼりだしているだろう。
ピアニストは情け容赦なく叩きまくっているではないか。
ベーシストの弦のはじきかたを見ていても、まるでそれに苦痛をあたえているような気持ちになる。
そうだ、彼らはこうして君たちの最良の個所めがけて話しかけようとし、そのため一所懸命になっているのだ。
その最良な個所というのは、君たちの一番タフなところ、いちばん自由なところである。
そこを目がけて彼らは最後の強烈なクライマックスへと激しいリズムに乗せながら、君たちを打ちのめしてしまおうとする。
トロンボーンを吹いている男が汗だらけになっている。君たちも汗だらけだ。汗は両方からタラタラと流れだす。
ステージの様子が、さっきとは変わってきた。もうすっかり夢中になり、調子をあげながら、オルガスムにたっしようとしているらしい。
君たちも何かを求めようとしている。
そこで叫びはじめる。叫び続けないと運動状態が停止してしまうような気がするからだ。
そしてそのとき急にジャズの演奏が終わる。闘牛士の剣に刺された牛がガックリとなったような瞬間だ。
だが緊張しきったあとのホッとした気持ちは、たまらないくらいさわやかである。」