その三

彼女の、複雑なジャズラインを澱みなく繋ぐというスタイルは誰が作ったのか?
彼女は、中学生の頃からジャズのジャムセッションに参加していたそうである。
ジャムセッションに「見学」でしか参加したことのない俺は、
中学生当時の彼女の足元にも及ばない(T_T)/~。

もとい、ジャズなんてのは今や、こじんまりとした店で限られた者が、
まるで隠れキリシタンのように細々とやっているような音楽だ。
客は入らない、
古くて高いセルマーを撫でながら偉そうなことを言うサックスおやじがいる、
一言も喋らないベースのヒゲおやじがいて、
ドラマーはいつも不機嫌そうにスティックを叩きつけている
たまに難しい顔で聴きにくる客がいれば、
それは、海外の古いジャズの熱狂的な信者であり、
「日本の」「今の」「若手の」ジャズなんて鼻も引っ掛けないような連中だ。
彼らは「ジャズは死んだ」としたり顔で言いたいがためにやってきているようなもの。
そんな吹き溜まりに単身乗り込んだ中学生の彼女は頑張った。
少しでもみんなに認められようと試行錯誤しながら一所懸命吹いた。
そしてついに掴んだ。
「老いぼれたジャムセッションメンバーの枯れ枝のような指では、まねすることのできないスピードで、
より複雑なフレーズを吹けばみんながチヤホヤしてくれる」ということを。
いつも「こ娘なんかにジャズができるか」みたいな顔している客も、
複雑であればあるほど速ければ速いほど喜び、しまいには手の平を返したように
キャノンボールみたいだ」と言って誉めてくれるようになった。
「これがジャズだわ!」
彼女は瞳をキラキラとさせながら、もっと複雑なフレーズを、もっとスピードを、と追い求めていった。
毎日毎日五、六時間も、実際に口が曲がって戻らなくなるまで激しい練習をした。
そして今の彼女のスタイルができた。
高校を卒業したばっかの女の子のニューヨークジャズスタイル。
そりゃジャズメディアは飛び付きますよ。
雑誌で取り上げ、CDは評判になる、テレビ番組は曲を使ってくれる。

彼女は、ニューヨークのクラブで演奏した時と同じように吹いた。
雪国のホールで。
そして「よくなかった」という評価。
彼女のスタイルは彼女だけが作り上げたものではない。
彼女自身とセッションメンバーと客が作り上げたスタイル。
それにお墨付きのハンコウを押したのがテレビや雑誌のメディア。