ことばと音と

好きな声がある。
レゲエのボブ・マーリィ、シャギー。
ヒップホップでGURU。
JPOPではUA、吉田美和、宇多田ひかる、元ちとせ
身近で言えば師匠の声と友達の声。
声質はそれぞれ様々だけど、どれもなんとなく懐かしい。
毎日聴いても飽きることがない。
たとえばの話、俺がシンガーソングライターだったとして、
聴いた人から「あなたの声が好きだ」と言われたら、
それは「あなたの歌や曲、詩が好きだ」よりも、
「あなたという人間が好きだ」よりも、
ずっとずっと何倍も嬉しいような気がする。

中学生の時、音楽の先生が
「歌はメロディーを聴きますか?
それとも詞を聴きますか?
どちらをもって好き嫌いを判断しますか?」とみんなに質問した。
ほとんどの者がメロディー重視と答える中で、
二人の女の子だけ詞のほうが大事だと答えた。
一人はすごく勉強ができた子で、
もう一人は中学生にして早くも、大人の憂いやら影やらを帯びた女の子。
その時、なぜか俺は二人に対して嫉妬した。
高校のとき、その内の一人と付き合った。
彼女は親を憎んでいた。
「父さんを殺して」と俺に言った言葉には切迫したものがあった。
俺がその時、彼女にどう答えたか、覚えていない。

音よりも言葉のほうが、より現実的だ。
音は消えて無くなるが言葉はそのまま保全される。
言葉を受けた時に感応して生まれるものは時によって変わるが、
言葉とその言葉を産んだそのもは変わらない。
彼女は確かなものが欲しかったのかもしれない。
それとも言葉で動き始める現実的な救いを求めたのかも。

俺は音の人間だ。
好きな歌声をいつでもその気になれば頭ん中で再生できる。
今のところそれは既存の歌だけに限られる、
この先、好きな声で新しい歌が浮かんだら、俺はその歌を形にする。