新宿ルイード

春雨降る夜の新宿「ルイード」。
昨夜、友達の歌を聴きに行ってきた。今までメールのやりとりしていて昨日初めて会った女性ボーカル。
声色を2つ3つ使い分けていて歌の表情が豊かで素晴らしかった。
今、UA聴きながらこれ書いてるけどUAの声色っていつも一本調子なんだよなぁ、彼女を俺に預けてくれればなぁ、もっともっとおもしろくなるのに…。
声色ってのは、クレヨンの色みたいなもの。
12色クレヨンで描くのと24色クレヨンで描くのとでは、描かれた世界の幅と濃密度が全然違う。
24色、48色クレヨンで息もつまるほど深い世界を描いてみせた後に、
白と黒のモノトーンの世界をサラッと描いてみせる、ほんとは人って奴はみんなそれくらいできるんだ。
ニルヴァーナの「ネバーマインド」はいい線いってた、今から思えばカートの生き方も「ネバーマインド」のアップダウンそのものだったかも)
一人の人間は海よりも深くて広い。
みんな自分を「俺なんてまぁこんなもんだろ」みたいな小さい型にはめて安心して生きている。
社会適応者はそれでいい、けど表現する者がそれではもうおしまいだ。
表現者は「俺の世界はとてつもなく深くて広い、このちっぽけな人間社会がどこまで俺の世界を許してくれるのだろうか?
みなが生きるこの世界に俺の世界をぶっつけて世界そのものを拡大するしか俺が生きる道はないのか」と、そこまでいかないと。
俺は、すごいよ。、、、たぶん。
小説を書けばいずれ芥川賞を獲れるだろうし、株をやれば5億や10億すぐに稼げるだろう。。、、、たぶん。
けど金も名誉もまったく興味ないな。
自分の音楽をとことん追求して、音楽と心中するつもり。
もしそれが叶わなかったら全国廃墟巡りの旅をしたい。
廃墟って三種類ある。冒険心をくすぐるワクワクする廃墟、なんとなく懐かしい心落ち着く廃墟、心臓バクバクの恐〜い廃墟。
けどまぁ廃墟で一番危険なのは間違いなく生きた人間。それはとても悲しいことだけど。
昨夜、冷たい雨が降ってた。
傘を持っていたけど、あえてささないで濡れて歩いた。
そしたらなんとなく贅沢な気持ちになった。
俺なんて、いい加減な生き物だ。
もし傘を持ってなかったら、同じように濡れたとき惨めな気持ちになって歩いただろうに。
音楽で音楽を越えることってできるだろうか?
虫や鳥の鳴き声って、すげ〜ッ!!