イメージからフェティッシュまで

人と人との関わりにおいて、イメージあるいはメッセージあるいは意味そのものの共有はとても大切だ。
お世話になったあの人へ、と感謝の気持ちを込めてお中元を送ったとしよう。
納豆の嫌いな関西の人に、全国各地の納豆を送ったら、それは嫌がらせになる。
納豆の好きな人に全国各地の納豆を送ったら、喜ばれる。
ならば、水戸で納豆を作っている人に全国各地の納豆を送ったら、どう思うだろうか?
「これは俺の造る納豆に対する挑戦じゃ!」と床に叩きつけて怒るのか?
「全国津々浦々の納豆か、これは勉強になるわい、ありがとう」となるのか?
「まぁ、商売敵の納豆だわ、さあ潰れてしまいなさい、
まぁ糸なんかひいちゃって汚らしいわねぇ〜、
こうしてやるこうしてやるぅ〜、ウフフフ」
とハイヒールの踵でグリグリと踏み潰して恍惚に溺れるのか?
↑このへんの感覚が解らない人は、
映画「インザプール」のオープニングを繰り返し繰り返し見るように。
そうすれば、あなたの中に「何か」が生まれるかもしれないし、
生まれないかもしれない。
そういえば、ちょっと前に、靴の左だけ何百足も盗んでコレクションしていた人がいたけど、
結局、奴の動機は何だったんだ?
左の靴フェチ?
何故に左?
相似対称形である右の靴ではなぜ興奮しないのか?
特殊なフェチについて興味はつきない。
もしあなたが、何かすごい特殊なフェチやマニアを見つけたら、当方までご一報を。
「車のナンバーの数字を全部足したら23になる97年式の茶色のカローラを見かけたときにエクアドル産のバナナを左手に掴んでいたらすごく興奮するんだけど、
くぅ〜(>_<)惜しかった!
フィリピン産だったぜ、チェッ( -_-)」
みたいなさ。
もちろん、梅干しのタネのシワシワを思い浮かべないと
中々イケないというあなた自身のフェチでもいいです。
秘密は時折厳守します。