軍艦島に永住しました

俺が、作曲家として有名でないのはなぜか?
それは、俺が作曲家ではないからだ。
俺は、なぜ作曲家ではないのか?
それは「音楽とはその場に生まれ、その場に消えてなくなるものだ」
ドルフィーが示してくれた心の道を真っすぐに歩いているからだ。
ボイスレコーダーを買った。
目的は、ふと思いついた美しいメロディーを鼻歌でボイスレコーダーに録音して
採譜して曲として仕上げて形にして売り込んで大ヒットした印税で
キングオブ廃墟である軍艦島を購入して
ラッパと太鼓、写真と絵の具、紙とペンを持ち込んで住みつき、
狂気と狂喜、癒しと賤しが、まんだらに混じりあった音楽を、写真を、絵を、物語を作って遊ぶんだ。
それはドルフィーの示した心の道とは余りにも違うではないか?
そうなんだよね、
テープやレコード、CDなどの記録媒体が普及した今日、
かつては、あった「音楽の一回こっきり性」がなくなってさ。
たった一度限りのギリギリの熱演までがコピーされて。
コピーはまるでゾンビ、再生、再々生という反復攻撃をする。
そして最後に到達するのは「退屈」。
究極の反復であるところの人間の歴史って、「苔蒸す退屈、水漬く退屈」でしかない。
侵略して略奪して殺して統治して搾取して分裂して独立して侵略して…、
の繰り返しの転回形でしかないもんね。
略奪と殺戮と搾取のバリエーションの数々。
言っておくけど、どこにも平和なんてない。
今まで、争いのない社会が実現したことも、今後、実現する予定もないです。

コピー音楽の功罪をいえば、その功績は巨大だ。
モーツァルトが譜面に残したからこそ、CDコピーが普及したからこそ、今日俺たちは、それを聴ける。
何度も聴くことにより音楽を分析する能力を手に入れた。
罪は?
「消えてなくなる音楽のスリルや刹那に感応する心」を失った。
「音楽という刹那」に感応しないのは、常に流れていてとどまることを知らない「時」に対する冒涜。

刹那に生き刹那に死するか?
コピーに蝕まれながら、ウハウハ印税生活を送るか?
金なんかどうでもいいけど、軍艦島に感応して一人だけの音楽を造りたいなぁ。

俺のサックスをボイスレコーダーに録音して聞いてみたら、
阿部薫そっくりだったってことをカミングアウトしたかっただけなのに、
いつのまにやら軍艦島で印税生活を送ることになりました。
いつもの底抜け脱線ゲーム