メモの二

音韻と音響、ことばの意味とことばそのもの。
音楽の商業化。
音韻の再現化をするための音楽の記号化「十二音平均律→バークリーメソッド→MIDI」。
その流れの外にいる音響重視派。
音そのものの再現化が、コピー技術の発達によって成されるようになった今日。
『「十二音平均律→バークリーメソッド→MIDI」よ、お前はもう死んでいる!さあ、このノイズを聴け!』
バークリーやジュリアートの落ちこぼれが始まったのではなくて、
ストリートやレゲエのサウンドシステム
あるいは部屋の一室で器材相手に一人でニヤニヤしながら、
などなどの音楽が鳴る現場での遊びの中から音響は始まった。
ビバップがアフタージャムセッションから始まったのと似ている。
パターンの反復と変化による快楽を追求してきた音楽は退屈。
(いやけどサンプラーにノイズ入れてループさせてってのはまさに反復の快楽、しかもミニマム的にはまったく変化しない)
今までの音楽はメロディ、ハーモニー、リズムのループ(パターン変化も含めて広義の意味のループ)
でノイズはループしてなかった(日常生活の中でノイズ(生活音)は大きくループしているが)。
ノイズそのものはMIDIにもバークリーにも取り込まれない。
サンプラーの出現によりノイズループに病的な快楽を見いだした。

なんて流れとは別の話で、
パーカッションによる躍動をベースに
即興で音楽と非音楽とか関係なくあらゆる音をあらゆる形でデコレートして、感性を拡大しましょう。
と、今の俺はこのあたり。
ジョン・ケージは俺の遥か先なのか?
わからん。