音楽史に残る「9.3sun」昼

大森「文化の森」で昼12時から始まった太鼓の稽古に、
久しぶりにFさんが参加した。
以前は、師匠の妹さんが代表を務める太鼓の会でやっていたのだが、
退会して、この一年はバチを握ってないと言う。
「Fさん、では肩慣らしのつもりで打ってください」
と師匠が一年のブランクを気遣い声を掛ける。
そして、八丈太鼓の「ゆうきち」を打ってもらった。
太鼓の皮の感触を確かめるようにして一つ一つ丁寧に打ち始めた。
やがて、風を見切った鳥のようにバチが軽やかに舞いだした。
稽古場に小気味いいリズムが響く。
その場、その場で紡ぎだす即興太鼓であるのに係わらず、
恐ろしいほどにメロディアス。
太鼓が歌い、舞い、踊る。
大きく、小さく、強く、柔らかく、優しく。
打ち終えて、師匠が感想を述べようとするが、
声を詰まらせ中々言葉にならない。
Fさんの太鼓に感動して顔をクシャクシャにしている。
「聴いていて自然と涙が溢れるような太鼓に出会えるのは、
一生のうちそう何回もあるものではない。
本当に素晴らしかった、ありがとう」と涙流しながら。
Fさんの太鼓が素晴らしいのは、
全身全霊、心も体も持てるもの全てを使って叩くから。
そして「自分という一つの自然」から滲み出たものだけを、無心で打つ。
邪心の塊である俺は、彼の太鼓を聴かせてもらって
「もう、バチを置いてもいいや、これからは太鼓は聴くだけでいい」と思った。
Fさんは下半身と右手が不自由で、車椅子に座りながら左手一本で太鼓を打つ。
時折スプレーで筋肉をほぐしてやらねばならない左腕一本で。
それは、
自分に持てるものの全てを使って出す音の尊さと、凄味と、優しさを教えてくれる。

音楽史に残る「9.3sun」は、
まだまだ続く。