「命の唐突さ」のα

いじめられて自殺という話を毎日のように聞いて、とても悲しくなる。
いじめは、集団が一人に対して行なう精神的肉体的な拷問と言いかえることができる。
その苦痛や苦悩から逃れるために、死を考えるのも無理からぬことだ。
全校集会で校長が出てきて
「一人で悩み苦しんでないで先生に相談してください」などと、のたまっているが、
もし相談したらしたで「ちくったなコノヤロウ」と、
より一層攻撃されるではないのか?
たとえ、相談→対策→いじめの解消とことがうまく運んだとしても、
いじめは水面下に潜って、より巧妙、より陰湿になるかもしれない。
教師が具体的にどうやって被害者を守るのかを、
一等最初にバチッと示してくれなきゃ、安心して相談できん。
「君の身と心を保護する」と宣言せずに、
「相談する勇気を持て」なんてことを、
声なき被害者に向かって平気で言うようなおバカさんが校長をやっている学校は、
救われない。
そんなおバカな学校に限らずとも、
そもそも学校なんてところは、命を削ってまで行く価値も必要もない。
多くのガキんちょたちを「学校に行かなくてはならない」というプレッシャーから
解放してあげなくてはならない。
学校に行って命を落とすのがいいのか?
学校以外のさまざまな道を歩いて生きるのがいいのか?
今晩、親子で会話してみたらいい。
それだけでも、どれだけの命が救われるか。