「命の唐突さ」のβ

政治家やお役人は、競争学歴社会におけるいわゆる勝ち組で、
教師は、やや勝ち組あるいは引き分け組といったところ。
総じて学歴社会の擁護者であり次世代学歴人間の養成スタッフでもある。
故に彼らには、学歴を否定して初めて見えてくる価値の存在を、心の底から信じることができない。
だから学校そのものが命を脅かす場であるのに「ここから逃げろ!」とは言えずに、
全て学校内で教室内で解決しようとしてしまう。
それはまるでチェルネンコ光の灯りの下で、放射能対策を教えるようなもの。
先生は曲がったネクタイを直し神妙な顔つきで、
教室の机上にて「命の尊さ」を文字で羅列する。
「イノチノトウトサ」。
電報は、いつも読む側のほうが大変なのだ。
そんな届かない電報を打つ前に、
「腹減ったか?寒いのか?」
「胸が苦しいのか?それは恋というものだ、もしくは肺炎のおそれがある」
「嬉しいか?悔しいか?痛いか?楽しいか?
うんうんそうかそうか、それが生きてるということなんだ」と、
言葉でも文字でも観念でもない「命」を心と体で体験してもらいましょう。
自分の命を、ありありと感じることができて初めてやっと
「イノチノトウトサ」が「命の尊さ」になるのだ。
そしたら、家族の命、友達の命、知人の命、他人の命、動物の命、植物の命、キノコの命、菌の命、バクテリアの命、ウイルスの命と、
命の尊さのドミノ倒しをしてもらって
最終的に「あぁ〜、命ぃ〜」とヨダレを垂らして天を見上げるようになった君はもう、
このまま世界の日常を黙って見過ごすわけにはいかなくなっている。
外に出て、町で村で海で山で、あらゆるところで戦う戦え!命を守る戦い。