「私は、皮をむいたバナナである」の一本目

俺は、俺がやりたいことがわかってきた。
ニューヨークでジャズを初めて目の当たりにしたサルトルの言葉を拝借しよう。
『ジャズってバナナとおんなじだ。皮をむいたバナナのように、そのときすぐに食べてしまわなければならない』
サルトルはさらに続ける。
「ジャズが演奏されている。みんなが熱中して聴いている。
その人たちは夢なんかみてはいないだろう。ショパンは夢を見さすかもしれないが、ジャズはちがうんだ。
ジャズはとりこにしてしまい、そのなかから離さない。ほかのことは考えさせないようにしてしまう。
ジャズはドライで狂暴で無慈悲なものだ。
それが黒人奴隷の百年前からの悲しい歌だと考えるのは間違っているし、機械にたたきのめされた白人たちにとっての悲しい夢だと考えるのも間違っている。
ごらん!トランペットを吹いている太った男が、からだを動かしながら、ありったけの息をしぼりだしているだろう。
ピアニストは情け容赦なく叩きまくっているではないか。
ベーシストの弦のはじきかたを見ていても、まるでそれに苦痛をあたえているような気持ちになる。
そうだ、彼らはこうして君たちの最良の個所めがけて話しかけようとし、そのため一所懸命になっているのだ。
その最良な個所というのは、君たちの一番タフなところ、一番自由なところである。」
(゜o゜)はい、ストーップ!!
この↑の「一番タフなところ」を「一番破壊的なところ」に、
「一番自由なところ」を「一番狂ったところ」に換えてください。