@「五千回の洗濯」の一枚パンツ

洗濯物がまた溜まった。
「また」と言っても数回や数十回程度の話ではなく
「また」の中には何百もの「また」が「またまたまたまた…」と織り込まれておる。
これだけ、またまたまたと果てしなく繰り返すとさすがに「私は洗濯物を溜めることに自分のアイデンティティティの八割以上を捧げている存在である」と認めざる得ない。
私から「洗濯物を溜め過ぎていよいよ穿くパンツがなくなり真冬にラストアイテムの海パンを穿いてジーンズの下でゴワゴワするのを隠しながら何食わぬ顔で日常を営む」
という事態を取り上げたら何も残らないのではないか?
そんな気さえしてきた。
私が意味もなくニコニコしている時は疑ったほうがいい。
さてここで一応、我が名誉の為にお断りしとくが、決してズボラであるがゆえに洗濯物を溜めてしまうのではないぞ。
かといって忙しくて洗濯をする時間がないわけでもないよ。
いつも決まって洗濯をしようと思いたった次の瞬間に、今後の人生を左右しかねないような出来事に遭遇したり、我の生存に関わるのっぴきならない事態が降り懸かってきたりするから不思議だ。
「さあ今日こそ、今こそ洗濯だ」と腰を上げるやいなや去年の夏に送られてきた年金特別便が目に止まり「そろそろ封を開けてみないとやばいかなー?老いた私の愉快なオハヨウゲートボール人生は大丈夫なのか?」ととても心配になり洗濯どころの騒ぎじゃなくなったり。
「ふふふ、今回はなんとか海パン出動せずに済みそうじゃ、俺はヤルトキはヤル男です」と溢れ出してる洗濯籠を持ち上げたその瞬間に、
多変量解析の新しい手法を突如閃いてしまい矢も楯もたまらずExcelを開いて検証しなくてはならないはめになったり。
うーん、天才は日常を営むのがとても難しいのである。
洗濯の「洗」が浮かんだだけで急に眠くなったり急に腹が減って動けなくなったりするのもきっと私が天才であるがゆえなのだろう。