@「五千回の洗濯」の四枚パンツ

と、
さもリアルタイムで今まさにトイレで悶絶しているかのように書きましたが、
実はこの孤軍糞闘記は先週の木曜のことだったのです
最後は、お硬いウンコさまが難産の末にお産まれにならせられて一見落着でございました。
みなさまの声なき応援が時空を越えて力になったのでしょうか?お蔭さまで指という最終手段を使わずに済みましたのよオホホのホ。
トイレを出たのと同時に炊飯器のブザーが鳴りました。
そしてぼくは泣きながら、決してドレッシングは入れてはいけない野菜チキンカレーを食べたのでした。
いつも思うんです
80年間という途方もない時間を生き続けることは、余りにも馬鹿げてると。
これは、まとめ人生システムによって生きることをガァーっと一まとめにされてしまった結果ではないのか?
昔昔その昔は、三年間生きたら次の三百年間くらい死んで、また三年間生きて三百年間死んで、
だったのではなかろうか!
生死の時間的単位はわからないが一日生きたら百日死ぬくらいな感じかなー
それを延々と繰り返して断続的に生きていく。
どう考えても80年間生き続けることはなんとも馬鹿げた話しである。
我々が年月とともにどんどん老いていくのは、生き続けていることが間違っているからではないか?
朝に生まれて生き生きと活動し夜になってきっちりと死ぬ
そしてまた朝になり元気100%で生まれて夜に力尽きて死ぬ。
なれば疲れが蓄積することもなく老いさばらえることもなく生き死にを続けていける。
現代の睡眠はその頃の名残なのかもしれない
今の「生き続ける」という狂った世界は誰かが、まとめの人生システムを発動したからに違いない。
宮本輝の「五千回の生死」に出て来る男はきっとシステムが動く以前の記憶の持ち主なのだろう。
もともと卵はシステム下で生きるようには作られていないのだよ春樹くん。
炊飯器の蓋を開けて生暖かいドレッシングの匂いを嗅いだ瞬間、私はとても死にたくなったのだ。