ひとひらの雪

12時過ぎに病院に着いた。
息を一つ吐き出してから病室の扉を開けた。
ベッドの傍らに立っていた兄が俺を見て小さく頷く
どうやら間に合ったようだ。
今朝早く電話で起こされてからもう8時間以上たっている。
なかば覚悟してきたが、なんとか間に合った。
だが、いったい何に間に合ったというのだろう
生きているうちに、なのか
死ぬ瞬間に、なのか。
医者も兄も俺も、もう死ぬことを前提として動き始めている、具体的な行動も心も。
冷酷な予想をすんなりと受け入れてる俺達は現実よりも冷酷なのかもしれない。
顔を覗き込む、白濁した瞳には何も映ってないのだろう、意識はない
手はパンパンに腫れ上がり水風船のよう
呼吸を強制的にコントロールしている機械の音だけが部屋に響く。
兄の目配せで病室を出て休憩室のソファーに向かい合って座った。
「今夜が山だそうだ」と静かに言われる。
山といっても山を無事に越えたら再びこちらに戻ってくるということではなくて、
山を越えてあちらに行くということなのだろう。
疲労と憔悴で家で寝込んでいるおふくろに兄はどう伝えたのか。
一人で病室に戻った。
少しだけ意思の疎通ができた一月前と顔色や生気などあまり変わらないように見えるのだが、
思惑混じりで見ているだけなのかもしれない。
機械モニターの数値が点滅して警告音が鳴った。
すぐに看護婦さんを呼び診てもらうが、もうすでに処置なしといった具合で、あまり神経質にならなくてもいい、ブザーが鳴り続けて容態が変わったらすぐにナースコールを押してくださいと言われた。

目が微かに動いた
意識が戻ったようだ
白濁した瞳でおれをジーっと見ている
「俺だよわかるか」と声をかけながら
目尻から零れた涙を拭いてやる

俺を見ながらしきりに目を斜めに動かす
何回も何回も繰り返し繰り返し
その先には呼吸をコントロールしている機械がある

すまない
俺にはもうあんたを殺せない