@高尾山縄文コーリング伍曲目

10日前、高尾山での太鼓について私の小さな良心がシクシクと痛みだした。
太鼓を打つことで神さまを呼び付けるという自分の高慢ちきさに心を痛めた
わけではない。
神が私より偉いわけでなし、またその逆でもなし。
私が存在するから、私がいるこの世界が存在するのであり、神の存在もまたしかり、私の存在が前提となっているのだ。
「全知全能の神」と「神を含めた宇宙が存在する前提である私」とは同等でなのある。
なので、私が必要な時や会いたい時は神を呼び付けてもいいのだ。
ここで言う「私」とは「あなた」であるが故「あなた」が「私」になった時、あなたは遠慮なく神を呼び付けてOKよ!
もし、あなたが窮地に陥った時なんぞ遠慮なくどんどんじゃんじゃん神さまを呼ぶといい
これが、いわゆる
「困った時の神頼み」。
びュ〜−…
うーん(>_<)
この路線を走っていくとぼくは、ケーシー榎本と名乗っておばちゃん達の人気者になってしまいそーだな
止めとこ。

さてと、とても小さな良心が痛み出したので、神を呼ぶ太鼓を止めた。
だってさー
おいらが呼びつけてホイホイとスキップしながらくる神は、疫病神と貧乏神と相場が決まってるのだ。
我が人生を振り返ってみれば、幾度彼らのお蔭さまさまで涙を涙を涙を流したことだろう。
そんな貧相でビンボー臭い神さんが太鼓の音に誘われて、ぎょうさん来よってお客さん一人一人に取り付いた日にゃ偉いこっちゃで
「ただいま、おかぁちゃん!高尾で友達になった貧乏神を連れてきよったでー、っていうか勝手について来たんやけど。
一生一緒にいてくれや!だってさ、おかぁちゃん助けて〜」
こんなんなったら、豚インフルエンザよりたちが悪いので、
神を呼ぶのは止めました。
まー、もっとももともとおいには神を呼べるような太鼓なんか打てませんがねw

そこで、私は閃いた!
高尾山で餌になります。
神の餌食。
私にできることは、いきのいい餌になって暴れまくって太鼓を打って、神に見つけてもらうこと。
神が見て「なんじゃありゃ」と興味を示し寄ってきたら大成功。

5日前に骨董市でそれようの衣装を買いました。
今夜の稽古で、まごめ会各位にお願いして作ってもらた高尾山スペシャルな歌もいよいよ完成します。

23日高尾山縄文コーリングがとてもスペシャルなイベントであるので、ぼくも高尾スペシャルの、太鼓で挑みます。
もし、うまくいって神がきたらあとはみなさんにお任せするよ(゜▽゜)