@生けしゃあしゃあと生きてる四日

6月10日
会社は築地市場と連動で水曜休み。
kミーと新宿のカラオケボックスに行く。
ブガラブー、ボンゴ、インド太鼓、シェイカー、口琴などでボンボコボコボコびよーんびよーんと遊ぶ。
カラオケなんかそっちのけw
kミーは撥で太鼓を叩くのが大好きだそうで、おいらは素手で叩くのが大好き。
なんだ、真逆じゃねーかw
ついつい八丈太鼓の本ばたきやシャバタキを叩いてみたりしたりしたのはほんの御愛嬌。
おいら相変わらず和太鼓嫌いだし。
kミーに和太鼓の魅力を教えてもらおうと試みるが、
どうやら理屈じゃないらしい。
「好きだから好きだ」。
おいらがアフリカンなパーカッションを好きなのも理屈じゃないしなーと納得する。
理屈のいらないものがあるって素晴らしいことです。
恋愛とか親子愛、家族愛とか友達愛とかもそうだもんね。
理屈じゃないし損得でもない。
「好きだから好きだ」。
そう断言できる物事や人物の数と、それに対する思いの深さの分だけ人は幸せになれる。
心の中に広がっている「好きだから好きだ」の大きさと深さ。

6月10日夜
裕美ん家に電話する。
おやじさんが「今日ひょっとしたら健二さんくるかなーと思ってたんですよ」と残念そうに言ってくれた。
毎年6月の水曜休みに墓参りに行っていたのだが、日帰りだとパパママ兄とゆっくり話す時間がなくて、寂しいので、
今年は時間を見つけて泊まりかけで墓参りに行こうと思ってたのだ。
予め伝えておけばよかったなー。
7、8、9月のどれかで泊まりに行きます、と言ったら喜んでくれた。

今日、太鼓の師匠と太鼓仲間が裕美の為にお経を上げてくれてると言うと、とても感謝された。
兄からの「ありがとう」を師匠たちにちゃんと伝えねば。
おいらは昨日、無力無善寺という破れ寺でお経の代わりに自転車のベルをリンリン鳴らしました
とは、言わなかった。

俺が、このように生けしゃあしゃあと生きていられるのは、裕美の家族と親戚のおかげなのです。
俺は今まで裕美のお父さんお母さん兄さんおばあちゃんおじいちゃん親戚の方々から一度として責められたことがない。
責めるような一言もなかったし一睨みさえされたことがない。
なので、元来脳天気な俺は相変わらず自分に向き合うこともせずに、こうして生けしゃあしゃあと生きていられるのだ。
甘えだよ
俺が生きてんのは自分かわゆさの甘えでしかないのだよ