@「あんた誰?」のニ人目

ケグリサウンド、アフリカンパーカッション、ガムランなど民族色豊かなリズムサウンドを聴くと無条件で血が騒ぐ。
ヒップホップやレゲエは音が良ければ血が騒ぐ感じだな。
パンクは叫びたくなる。

おいらの根っこはパンク。「パンク」=「超個人的な叫び」。
サックスはパンクとして吹いてきた。
なるべく道具に頼りたくないので、ほんとは肉声に憧れてる。
だが残念ながら自分の声が好きではない。だからサックスだった。

去年、コンテンポラリーダンスに出会い、身体表現という世界を目の当たりにして、どんどん惹かれてった。
自分の感性と身体だけであとは何も使わないという潔さ。
どこまでいっても等身大でしかなくアンプなどの機械によって増幅されない自分。
右手をパっと伸ばそうと思ったら即座に右手をパっと伸ばせるという「やりたいこと」と「表現となって現れること」との一致。
頭のてっぺんから足の先までに限られる自己責任。
死んだらそれでさようならという生きざま。

人間一匹なんてなんだかんだ言っても身体一つだろっ!言葉も思考も心さえなくたって、そこに一匹、息して転がってるだけで「生きている」というとんでもない表現をやってのけている!

等身大の超個人的な叫びをただ辺り構わず撒き散らしたいだけの俺のパンクは、ダンス、踊り、身体表現でしか解放されないと気付いた。
ダンス、踊り、身体表現でやっていく。
21日の日光ディジュコネクションのライブを区切りとしてサックスを休む。
バンドに参加も暫くお休みする。

八丈太鼓は身体表現の延長でやっていこうと思うが、
もしそれで面白みを発見できなかったら太鼓も止める。

人間一匹道具使わず丸裸で生きたり死んだりを繰り返すというパンクをやりたいだけ。