@土日は江戸に行ってきた 四日目 川越唐人揃い

東武東上線で北へ向かう
水色の絵の具を平らに塗ったような雲一つない快晴、流れる建物の隙に真白く化粧した富士山が見えた。
とても気持ちがいい朝だ、この二日酔いさえ除けば。電車が揺れるぅーっ下を見てたらヤバイなリバースモードに入りそ(>_<)。近くを見てたらヤバイヤバイ、そうだ遠くを見よう
あっ富士山だ!。

川越はご存知の方も多いと思うが駅名がややこしい。
川越駅川越市駅本川越、元川越、元祖川越、川越一番。
どの駅も観光ブランドと化した「川越」の名を入れようと必死なのだ。
これは所謂「新橋なのに銀座ジュエリー●キ現象」と同じ。
あるいは米のブランドで言うところの「南蒲原コシヒカリなのになぜか魚沼コシヒカ…、ん?こんな時間に誰か来たみたいだ。一体誰だろ?」
∂‰£▲℃∂⊇∠◎∞!
「あぶねーあぶねーその筋の業界マフィアに消されるとこだった」
本物の魚沼コシヒカリの収穫量のいったい何倍の魚沼コシヒカリが世間様に流通していることだろう?
「ん?こんな時間に誰か来たみたいだ。一体誰だろ?
あなたは、まさかゴル…うっ」ドタンっ。

『川越唐人揃い』
朝鮮通信使」と「唐人揃い」
 徳川家康は、豊臣秀吉朝鮮侵略文禄・慶長の役1592−98)に対しては否定的であり、徳川の武士は一兵も朝鮮侵略には行きませんでした。
天下を取った家康はすぐに朝鮮王朝との国交回復に全力をあげました。
甚大な被害を朝鮮に与えたために、国交回復は非常に困難でしたが、誠意を持って行った結果、その後国交回復し、将軍が新しく襲名した時には、朝鮮から四百から五百の文化使節団を招くようになりました。江戸幕府最大の外交行事でした。
「善隣友好」によるこの通信使パレードを、庶民は熱狂的に迎えました。平和な時代の象徴でもありました。
江戸時代では、「唐人」とは「中国人」ではなく,一般には「外国」の総称で、国交関係をもっている「朝鮮人」を示しています。
 国内でも,仮装によるパレードは各地で行われましたが,川越のように、通信使が通行していない地域で行われたのは珍しいものです。

川越唐人揃いHPより
http://members2.jcom.home.ne.jp/hukkatu-tojin/

全然知らなかったけど徳川家康ってなかなかいい奴じゃん!
考えてみたら江戸時代以外の全ての時代は100年と持たずに戦争をやってるもんなー。
江戸時代天下泰平300年ってなかなかいいじゃん!