@おっぺ収穫祭 書家谷内浩

日曜。
薪ストーブにあたってのんびりしてたら、Gイチが歌ってくれた。
喉を少ししぼって嘆く切ない歌、80年前に作られたというギターの繊細な音。
近くの椅子に座り目をつむってジッと聴く人、ビールを飲みながら静かに聴く人、少し離れたところからそっと耳を傾ける人。
まるで映画のワンシーンみたいな静かな日曜の出来事。

Kイちゃんは椅子に座ってるkズコちゃんの胸にしがみついて離れない、お母さんにしがみつく子供のコアラみたい。
ぴったりくっついている二人は親子でも親戚でもなく昨夜初めて会ったばかり。
おっぺにくる子供は人見知りしない子が多い。
おっぺで仲良くジャレあってる大人と子供を見ても、誰と誰が親子なのか?まったくわからない。
人なつっこい子供、子供なつっこい大人。
そのような人がおっぺに集まるのか、それともおっぺという場が人をそうさせるのか。
子供が子供らしくいられて、大人は大人のままでもよくて子供にもなれて、そんな場所。

みんなで東松山市のギャラリー「バサラ」に行った。
「むすんでひらいて」と名打った書家谷内浩の書展である。
浩の書はいともたやすく文字や言葉を越えていく。
たとえば「飛散」を表そうとした時「飛散」という字を記すのではなくて、墨をたっぷりつけた筆をビャーっと振って墨を飛び散らせ「飛散している様」を見せてしまうような書家。
書の世界をはみ出た書家なのだ。

ある一枚に目が釘づけになった。
墨絵のような味わい深い世界の右真ん中に取って付けたような一筆が記されてた。
太い黒マジックでベターっと引いたような味もそっけもない線。
その線により調和のとれた世界が見事にバランスを崩している。
「この一筆どうして入れたんだ?」と浩に聞いたら「入れたくなったから」と一言で返ってきた。
なんだかとても嬉しくなった。

記帳ノートに「浩は天才だよ。おいらも天才だよ。天才同士で一緒に何かしよう」と書いてみた。
ただし、おいらは踊りの天才でも太鼓の天才でもなくて存在自体がただ天才なだけなので、実は何もできなかったりする。
いわば天才バカボンと同じ。

力強く躍動する書をジッと見ていたら筆の動きが浮かんできた。
そしてぼくは浩の書で踊れることを確信したんだ。
とは言え天才二人で盛り上がった会話は、台車に太鼓を載せておいらが叩きながら移動する脇で浩が細長い紙に筆を走らせながら商店街を駆け抜けるという馬鹿げたパフォーマンス。
まったく天才と馬鹿凡の二人だよ。