3月11日

3月11日
冷凍倉庫の中で仕事をしていた、いきなり大きく体が揺れた。
「でかいっ!地震だ!」
倉庫内には冷凍鮭やら冷凍ウナギやらが見上げるばかりに積み上げられている。
四方八方の頭上から重さ20キロオーバーの魚類が襲いかかってきて下敷きになったら即アウトである。
俺はスーパーマリオの一面さえクリアしたたことがないのだ、岩のように固い冷凍タコが天から降ってきてもヒラリヒラリとかわせるわけがないだろう。
たとえキノコを食って無敵になったとしても、この倉庫は停電しただけで全ての照明が落ちてブラックアウト一縷の光さえ差し込まなくなる、私は視覚に頼らず歩けるほどに心の眼が開いてはいない。
さらに停電になったら外気を遮断している分厚い電動扉はもちろん開かない、日々の備えをしていないぼくは、もちろん手動で開ける方法なんてわかっちゃいない。
たとえこの地震で生き残ったとしてもマイナス25度の冷凍倉庫に閉じ込められて凍死なんて間抜けなオチまで考えられる。
一気に血の気が引いた。
「逃げろーっ!」
慌てて6階の冷凍倉庫を飛びだした。

前を大型トラックが通るたびに建物全体が揺れるほど地盤の弱い埋め立て地で、中の鉄筋がサビて膨らみコンクリートがヒビ割れているこの冷凍倉庫がこの大地震に耐えられるとは到底思わない。
はたして倒壊するまでに脱出できるだろうか?
建物ごと大きく揺れる階段を一段飛ばしで駆け下りる。
5階を駆け下りる時にはNカムラが、4階を駆け降りる時にはOカモトがチラリと頭によぎったが、声をかける余裕などありはしない、何よりこの俺様が生きるか死ぬかの九死に一生スペシャルリアルバージョンの真っ只中なのだ。

脱兎のごとく建物の外に出て七階建ての冷凍倉庫を見上げる、マンションでいえば十階建て以上の高さ。倉庫の構造上、窓がほとんどなく実に殺伐とそびえ立っている。
「こちらは地価の高い東京ならではの高層型刑務所ですの」と、テキサス訛りの友達に紹介したらきっとなんの疑いも無く信じるだろう。
再び大きな揺れがきた。
大型トラックがぐらりぐらりと車体を揺さぶり、道を挟んで隣のマンションはまるでフラワーロックのようにしなってる。
「このまま崩れてしまえ!」心の中で叫んだがそれはもちろん隣のマンションに対してではなくて、俺が12年も収監されてる特別刑務所に向かってであり、
もちろん、中にまだ誰かが残っているかどうか?ということを確認しないままにである。

埠頭の際まで逃げた。
速報ニュースを仕入れた誰かが震源地は宮城県沖だと言ったのを聞いて驚いた。今までに経験したことがないほど大きな横揺れだったので、震源地はもっと近いかと思った。
「このあたりにも津波警報が出てるぞ」誰かが教えてくれた。
ここは海面を覗くまでもなく海抜1メートルもない埠頭、わずか2メートルの津波でもさらわれてしまうだろう。
「どうする?逃げるか?」
「どこに?」
「…、まあ、いいか」
自分自身と対話してるのか?横にいた誰かと会話しているのか?まるでわからない。
「誰も避難しないから俺も避難しない、まあ大丈夫だろう。だって俺だけ避難したらかっこ悪いじゃん」という何もしないという答えを得るための儀式のような思考回路。
群集心理に自分を潜り込ませて「みんな一緒なので安心さ」と自分を納得させる。
もし大丈夫でなかった場合には死亡者数がグンと跳ね上がる最悪のパターン。

また地面がグニャリと大きく揺れた。
サイレンが聞こえてきた。
ヘリコプターが飛び廻っている。
湾の向こうお台場のビルからモクモクと黒煙が上がっているのを見ながら、喉にべったりとコールタールでも塗られたかのような絶望的な気分になった。


会社のテレビで家や車を飲み込む真っ黒い波を見た。
一片の慈悲もない凄惨な映像に目を奪われながら、おもちゃのように壊れていく家や木の葉のように流される車の中に人がいるという事実を頭の中から消し続けた。
ヘリからのあたり一面の火の海の映像を見て「住民は全員避難していて誰もいない町が燃えているだけだ」と幼稚な嘘を自分に刷り込んだ。

自分を守るために、この数時間あまりの全ての出来事はハリウッドのパニック映画と同じくブラウン管の中の出来事でしかないと自分に言い聞かせた。
努めて心をのっぺらぼうにしようと試みた。
頻繁に襲う大きな余震や福島第一原発放射能漏れと原子力緊急事態宣言のニュースに、怯えながら会社の長椅子に横になった。