4月14日〜4月16日

4月14日
上司に「16日の土曜に有給をくれ」と頼む。Gイチと金曜夜に出発して土日の2日間東北に入る算段をしていた。
が、「4月末で辞めたらいくらでもボランティアに行けるんだから今更有給はやれない」と言われた。
カチーンきた!
ぼくにはその理屈がまったくわからない。
こんどの土曜はあくびがでるほどに暇だ、俺一人休んだかて充分仕事はまわる。
津波から一月しかたっていない、まだまだ復興のフの字もたっちゃいないどころか、今なお命の危機にいる人が多勢いる真っ只中じゃないか。
こんな時こそ、いわゆる武闘派やくざで言うところのイケイケの奴らが猪突猛進でガンガン行ってドンドン手伝えばそのぶんだけ助かる人もいるというもんだ。
と激しく思ったが、反論するとグダグダと面倒なことになりそうな相手なので言葉を飲んじまった。
なにせぼくはヘナチョコですから。
心の中でパンクがガンガンに鳴り響いてきたぜ、うぉーっ!
と思ったが、叫びを呑みこんだ。
なにせぼくはヘナチョコ野郎ですから!
うぉーーっ!!

4月16日
YスケとKオリンのピースボート石巻ボランティア報告会に行ったbyいのくら屋さん。
ケグラーたちやマゴメラーたちに元気なおじさんたちが加わわって時にはカエルの親分と馬の親分とで一触即発の場面もあったりして、まー、みんな熱い熱いあまりにも熱すぎて火傷しそうだぜ!
話しが震災から原発事故に移るやいなやみんな堰を切ったように語りだしたのは、やはりそれだけ不安なのだろう目に見えない放射能の恐怖と国や東電に対する不信感。
(堰を切ったように、という言葉を使うことを躊躇った。文字通りの惨状を見てしまった者として5月22日)