5月2日

5月2日
午前0時半
おー!玉が玉が動いちょるぞー!
Sンノスケ号の助手席でiPhoneの地図を見てぼくは大興奮!
ぼくらの現在地を表す玉がぼくらの移動とともにずいずいずるずると動いとるのだ!
「裏を返せば俺たちは人工衛星により常に監視されとるということに他ならん。」Sンが言う。
人工衛星さまこんな瑣末なチンピラどもを監視していただき、どーもどーもご苦労様です。
つきましては僕たちは福島第一原発三号機の原子炉内に立ち寄り、今やすっかり嫌われキャラと化したプルトくんを救出してから永田町界隈をウロウロしてワシントンの白い家に向かいますので、そのまま常時監視をバッチリとよろしくお願いします!
「あ、Sンすまん、左折するとこ思いきり通り過ぎちまったわ、だってこの玉たまにワープして飛ぶんだもん」
やいお前ら!もう少し監視の精度を上げとけっちゅうねん、こんなに大雑把すぎたらぼくが突入する場所が三号機の圧力容器内かタービン建屋かジェイビレッジか判断つかないだろうに。

駐車場らしきスペースに車を停めて歩いて道を登ると平家建ての宗教チックな建物の前。室内にはオレンジ色の電灯がぼんやりと点いていている。少し薄気味悪い。
「ポカラってここかね?」
「奥にもう一軒あるぜ」
奥の家からは温かみのある明かりと笑い声が漏れていた、当たりである。
ここがポカラだ。

入ってすぐ正面に祭壇があり春うららさんが祭ってあった。初めまして!と写真に挨拶して線香を上げた。
8日が四十九日だそうでそれに合わせて絵の展示をやっていて、古くからの友人五人が茅ヶ崎から泊まりにきてた。
囲炉裏っぱたにもうららさんの写真がありその隣に座るKっちゃんが時おりその写真を紙芝居のように入れ替える。微笑んでる顔、おすまし顔、惚け顔。

ぼくはうららさんとは一度もお会いすることがなかった。オッペでの春うらら展で絵を拝見したのが唯一の接点。
だけど、ぼくが原発に対して憎悪さえ感じるようになったのは、うららさんの死があったから。あの原発事故がなかったら、この囲炉裏っぱたには写真ではなくて生身の体があったはず。
心よりご冥福を祈るとともに、みなさまの心の安らぎを祈るばかり。
春分の日にポックリ亡くなった春うらら、その生き様も死に様も全てが芸術だ。

「屋根材はリフォーム会社が寄付してくれることになった。それを使いここポカラの屋根の修理をしたい。寝食つきでその仕事をやってくれる人を数人募集しています。もし被災地で仕事がなくて困っている人がいたらこのチラシを渡してください」とKっちゃん。
「来てくれる人が見つかりその人が表現者であったなら最高ですねー」と答えた。
東北の被災地と那須のポカラと埼玉越生町のオッペを結ぶ芸術ホットラインの誕生がポカラのKっちゃんとオッペのKンちゃんと俺の望むところである。

うららさんの素敵な悪友たちとKっちゃんとSンとぼくと忘れたころに表情を替えるうららさんとで酒を酌み交わし語り合った。
何よりも囲炉裏の火がありがたい。なぜならばここの隙間風は隙間どころではない、きっと猫が蟹歩きで通り抜けれるほどの穴なのだろう。
なので、そりゃ雨漏りも雨漏りどころじゃないわな。

昼下がりポカラの廻りを探検する。
奥の細道を行くと水が流れてない沢があり薄緑した岩肌が露出していた。
沢の右岸には人間大の観音様が静かに立ち、左岸には金剛様?が今にも動きだしそうにして立っている。
なんとなく猿の惑星のラストシーンを思いだすような不思議な風景。
「実はこの場だけ千年進んでいて今は3011年なのです」と言われたほうが納得するほどに不思議で奇妙な場所。
お二人さんに明日から始まる東北ボランティアの無事を祈った。

ベンチに寝っころがって空を見上げた。
青い空を形を変えつつ翔けてゆく白い雲。美しいでもなく面白いでもなく、ただただいいなぁと感じた。
風向きは北風びゅうびゅうなので、かの地から放射性物質が飛んできているだろう。今浴びているリスクと今感じているいいなぁとを比べたら、いいなぁのほうがいいなぁと思った。

ポカラに下りて水のない池の上のステージで大の字で寝てたらSンに言われた。
「けんじはそうやって徐々に放射能に身体を慣らしていくんだな」と。
んなことあるかいな、気持ちよすぎてついついウトウトと寝てしまっただけじゃわい!
どうせ浴びるなら起きているうちがいい。

立ちションをしようと道を外れていったらいきなり切り立った谷が現れた。あと一歩踏み出して谷底めがけて小便すれば気持ちいいだろうが、そのタイミングを狙ってでかい余震がきそうな気がしてやめた。
この地はなんだか、いいこと悪いこととか関係なくて何が起きてもおかしくないような場所である。

Kっちゃんがポカラの歴史を語ってくれた。
ここを作った人は山伏であり霊能者でもあったそうで、那須の山で修行してた時、大事にしていた刀を山に取られてしまったそうな。そしてその代わりに山からこの土地を与えられたという。
うーむかなりぶっ飛んだ話だな。
さらに面白い言い伝えを聞いた。
彼はこの家や土地のどこかに宝物を隠したらしい。そして、世の中が危機的状況になったらその宝物が我々の前に現れて世界を?我々を?救うというのだ。
危機的状況とは地震津波放射能のトリプルパンチを受けてるまさに今じゃないか!
さあ、いでよ!宝物!
白い防護服が出てきたりして
中性子さえ遮断できるような、笑。
おっとちゃかしたらいかんいかん、
過去には、その宝物を探そうと何人かで山に入り見つからずに諦めて降りてきたらら人数が足らなくなってたという話しも聞いちまった。
ちなみにこの家の階段が急な上に踏み板の幅が極端に狭いのは、敵が踏み込んできたとき上から攻撃するためだという。

その不思議な人物が亡くなって息子さんがここを受け継ぐ人を捜していた時、春うららさんを紹介されお願いしたそうだ。
そしてうららさんがポカラと命名して芸術仲間が集まる家になった。
昔の夏至祭の写真集を見てたら知っている人がいっぱい出てて笑ってしまったぜ。

夜9時
Yナさんの魂を込めた歌に酔いしれたりIっちゃんの超絶変態ギターに目が点になってたりしてたら、Gイチがやあやあどうもどうもと到着した。
夜遅くまで時間を忘れて呑んで食って歌って語った、うららさんをまじえて。