5月4日その弍

社協に行き尋ねると、個人ボランティアは受け入れてないことと子供服はここでは足りてるので、と言われた。
なれば、今日初ボランティアをしただろうGイチに話しを聞いてみて明日を考えよう。
Gイチに連絡を取ると「ボランティアで一緒だった外人が泊まるとこなくて困ってるから芸術の村に連れてっていいか?」と聞かれたので、
「どーぞどーぞウェルカム!」と答えた。
よくよく考えたら俺がOKだしていいことじゃないよな、村長に聞かなくちゃ。
けどま、我が物顔で一晩泊まればもう俺の家みたいなもんだしさ、このかっこいいログハウス。
うーんと、今晩はKムラが来てGイチが帰ってだから、俺たちは+−ゼロの3人だろ、そこに外人さんが加わって4人。
屋根裏の亀虫部屋に3人寝れるから、全然大丈夫じゃん!
ほら!俺は下のソファだから。

晩飯のおでんをつつきつつ、村長が半生を語り始めた。
小学の時は絵がうまくていろんな展覧会で賞を総なめし、中学を卒業して集団就職で上京、上野駅で親方に引き取られて大工の道へ、ある日先輩と殴り合いの大げんかして、親方に「先輩にあやまれ」と怒鳴られて「あやまらん」と答えて、親方に「先輩にあやまれ」と怒鳴られて「あやまらん」と答えて(←誤植じゃないで村長が繰り返してたから実際は三回も)、列車に飛び乗り宮古に帰り、親方が宮古まで迎えにきたが母親が「あなたなんかに息子を預けられない」と親方を追い返し、家を出て再び上京してホームレスになり、たまたま目にした募集貼り紙を見て中華料理屋に飛び込み、めきめきと腕をあげてチーフになり、毎年8月に入ると「カアサンキトクスグカエレ」という電報を打ってもらい一月間浄土ヶ浜で海水浴を楽しんで、それでも腕がいいからクビにはならずに、やがて別の店を任せられて24時間働き、働きすぎて体を壊し、三十一才でここに移り住み、蓄膿症の手術をしたがうまくいかず、何年か後に手術した女医に電話したら「あれは手術ミスではなくて当時の医学の水準が遅れてたから仕方ない」と言われて、
そして、まさにその時に、
「今晩わー!Mークといいます!」
Gイチが、今晩泊まるとこがないという外人さんを連れてきた。
うぅっ、まじ助かったわー、Mークさんとやらあなたは救世主じゃよ!
日本語のうまい元気な白人男性の来訪で、やっとこすっとこ村長の人生録が中断した。
「半分話したからあと半分は明日だな」
「…、」
もう勘弁してください。
ダイジェスト版でお願いします。
早送りでお願いします。
ぼくが寝ている間にお願いします。