5月7日その壱

5月7日
Mークが盛岡経由で東京に帰るというので朝、Sンノスケ号で宮古駅までお見送り急げや急げ!かなりギリギリじゃな。
「Mークまたなー!」とハグして彼は慌てて汽車の中。
走りだしたら車内のMークに手を振ろうと先頭車両の先で待ち構えていたら、あらら見事に逆方向へ走り去っていき、Sンと間抜けに苦笑い。

宮古駅の周辺はもうまったく津波の爪跡はなくて、デパートやスーパーは通常営業しており人通りもあり学生は笑いあっている。
一方、港方面にほんの3分も走ればまだまだ息をのむような生々しい光景が広がっていて、それはつい二か月前に千人もの尊い命がさらわれた場所である。
このギャップに違和を感じて嘆く人もいるだろうが、俺は生き残った人びとの逞しさを感じるばかり。

駅前の喫茶店に入りテーブルに東北の地図を広げた。
ガァーゴォーガァーゴォー隣の席のおっちゃん鼾をかいて豪快に睡眠中。生きてるって素晴らしい。
「けんじこの先どうするよ?俺は一回北上して六ヶ所と大間に行きたい。それから海岸線をずっと南下して津波の被害を見ていきたい」
「おぉいいね、俺はそうだなー山田町がひと段落ついたらそのまま南下して大槌、釜石と入るかなー」
俺たちは仲間ではあるがチームではない、それぞれが生きたいように道を歩く。

いったん芸術の村に戻り昼すぎに村長を助手席ナビにしてSシハタ牧場へ向けて出発した。
道中、避難所になっているグリーンピアに寄り、さらにその先の見晴らしのいい岬に降りた。
海面からの高さが30メートル以上はあるだろう小山を、軽く越えて山の本体をえぐる生々しい爪跡。ビルなどの人工物の破壊跡とはまた違った本能的な恐怖を感じた。
記憶にある太平洋の青さではなくて、まるで日本海のような深緑色をしている海を見て村長は呟いた。
「恐ろしい色をしている」。
巨大なテトラポットがマンガのように打ち上げられていた。いったいどうすれば水の力でこの馬鹿でかくて重いコンクリートの塊を海底から跳ね上げることができるのか。
防波堤によじ登り突端まで歩きさらにギリギリのところに立った。海風を受けながら静かに手を合わせた。
得体のしれない海に対してではなく今なお海にいる人たちの冥福をお祈りして。