5月8日その壱

5月8日朝
俺たちは、ボランティアセンターを通さずにそのままhサコ邸へ。
迎え討つは若きリーダーYウ率いる正規ボランティア組(静岡からの団体4、5名)。
対決の場は、一階の天井、天井裏、張りに登って箒で津波が残したゴミ払い。
まっとうなボランティアがやってはいけないような足場の悪い高所での作業であるので、もちろん俺たち非正規部隊の独壇場、
と思いきや、Yウが「この天井板邪魔だから壊します」と言いハンマーでバキバキ壊したりして、いやはやなかなか豪快でよろしい。
スパイダーマンみたいに張りを渡り歩くのはなかなか面白い、ケグリでの踊りに役にたちそうな気がしないでもない。
とはいうもののカッパズボンはビリビリ破れるわ下にいたおっちゃんの頭に箒を落とすわでなかなか悪戦苦闘ではある。

昼の12時前
「今日は俺たち三人はこれで抜けるけど、明日の朝またくるからねー」とかーちゃんに言い、今日で山田町を終えて宮城の避難所に向かうYウには「午後から最後のお勤め頑張りやー」と後を任せてぼくたちは車に乗った。ぼくらは、自由だぁー!

午後から山田地区で祭りがあると耳にしたKムラが「昼で作業止めて祭りに行かね?なんでも焼肉が無料で食えるらしいぜ」と。昨日フウタを食えなかったのがよほど悔しかったのだろう。
祭りはもちろん被災された方々を元気づけるための祭りであるからして、ボランティアの分際で無料の焼肉にニンマリしたり無料の豚汁に舌鼓を打ったりあげくの果てには無料のビールを飲んでプハーっとやるなんて、決してあってはならないことである。
なので、会場に入る前にボランティアのワッペンをいそいそと剥がす三人。
「やったぜ!黒ビールもあるぜ!」
「焼肉うめぇ〜昨日のフウタよりもうめぇ〜!」(フウタごめん)
ステージでは、背中に自作ドラムセットを背負ってギターを弾きながら歌う一人バンドの何とかさん(Kムラがフジロックで見たことがあるらしい)が歌ったり喋ったりで会場を沸かせていた。

賑やかに笑いあっている人たちを背にして、山田の町を見下ろした。数えるほどしか残っていない建物も火事で焼けた跡が痛々しい。
あの日はこの高台の広場に避難した人も多かったと聞く。
流される車の中の顔、壊れゆく家からの叫び声を忘れられないと誰かが言った。
祭りの意味を喪失してしまったぼくは山田駅に向かって歩いた。
炭になった木、焼け焦げた駅舎、ぶら下がっているだけの外階段、ホームの潰れた屋根、瓦礫に埋もれた線路。
再び汽車が走る日はいつだろう。
ぼくは、初めてカメラのシャッターを切った。

※被災された人びとの気持ちを思うととても写真を撮る気にはなれない。
それでも、焼け落ちた山田駅を撮ったのは、いつの日か同じ場所に立ち復活した山田駅を撮るために。