Kさん頑張れ!弐の巻

彼は温和で優しくスマートで格好よく、一見したところニューヨークあたりで成功して脚光を浴びている画家みたいだ。
とてもシャイでスマートで、凄まじい。
そんな彼が創る焼き物は、すごく洗練されていていながら、
あたたかくて味わい深く、微妙に崩れていておもしろくて、
眺めても使ってもいつまでも飽きがこない。

俺は「頑張れということば」も「頑張れと言う人」も大嫌いだ。
「頑張れ!頑張れ!」と叫ぶ奴に限って自分で頑張ったためしがないし、
他人の命掛けの頑張りにさえ安っぽい涙で反応して、昼メロ茶番劇にしてしまう。
バラエティー番組的な「頑張れ!と感動の涙」
それは賑やかなバカCMに移るまでのとても薄っぺらいもの。

「Kさん頑張れ!」と俺は言う。
頑張れの本来の意味で彼に言う、
「我を張れ」と。
手作りのマキ窯も、けろくろも、五日間不眠不休の窯焚きも、
全て我を張っての行動。
芸術家は我を張ってなんぼ。
アーティストは時に命と引き替えにしてまでも、
我を張りとおさなければならない。

俺は本物の芸術家にしか「我を張れ」と声を掛けない。
孤高なる芸術家Kさん頑張れ!

今日が窯焚き二日目、まだまだ先は永い!

ってゆうか、友達に火を付けてまわってばかりいないで「俺のほうこそ、もっと頑張れや!」